Thursday, December 1, 2011

人類学

人類学メモの続きです。

前回の記事を読んでくださった方から、「参加型リサーチというのがあまりよくわからない」とコメントをいただきました。私もまだわかっているとは言い難いです。

ただ、その要素の一つは、関係する人々は、研究の対象ではなくて、研究に参加する人だ、という考え方なのかな、とぼんやりと思っています。

研究に参加する、といっても、いろいろな参加の形があって、 

  • 情報を提供するという形の参加 
  • 情報を提供する人から情報を収集する役割(インタビュアー)としての参加 
  • 情報を提供するグループ(フォーカスグループ)のファシリテーターとしての参加 
  • データ分析や結果の解釈をする際の助言者としての参加
  • 方針を決定する権限を有する者としての参加 

などがあります(Wallerstein & Duran, 2003)。

このため、あるものごと(文化や集団、考え方など)についてさらに深く知るために、そのものごとに関係している人に参加してもらう、と言っても、いろいろな参加の度合いがあり、参加型リサーチもいろいろな形となるのだろうと思っています。

また、前回の記事を読んでくださった別の方から、
「支援者と非支援者の間で真のパートナーシップは生じ得るのか、
なんてことを話しあっているコミュニティと研究者の間で、
真のパートナーシップは生じ得るのか? という議論、
人類学とIPS似てますね」とコメントいただきました。

私もそう思っていたところです! 


人類学の中に、Linguisic Anthropology というものがあり(言語人類学と言うのでしょうか)、ここでは、例えば関心を持っている文化や考え方、世界観について知る際に、通訳・翻訳に頼るのではなく、そこで使われている言葉を知ることを重視している、と私は理解しました。

言葉というのは、そこで大事にされているものごとが現れていると思います。
大事である、あるいは意味があると思うから話したりコミュニケートしようと思うわけで、そう思う人々の間には、それを指し示す言葉が存在しやすいのではないかと思います。それらの言葉を知ることで、その人たちが大事にしていることにも近づきやすくなるのではないかと思いました。 

人類学のはとても深くて幅広いものなのだろうと思いますが、ものごとの背景あるいは文脈を知る、人々の考え方や世界観を知る、など、IPSのことを思い出さずにいられないキーワードがたくさんありました。

Wallerstein, N. Duran, B. The conceptual, historical and practice roots of community based participatory  research and related participatory traditions. In  Community Based Participatory Research for Health. Minkler, M. Wallterstein N. eds, CA: Jossey-bass, 2003, pp. 27-52.

Friday, November 25, 2011

参加型リサーチ

医療人類学(Medical anthropology)についての講義に参加する機会がありました。本当にいろいろな学びがあり、また、もやもやと思っていたことが整理された部分もあり、このような機会と、関係する皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。

学んだことは多々ありつつも、まずは、参加型リサーチ(Participatory Research)について。

参加型リサーチにおいて、コミュニティ(ここでは研究対象となるコミュニティ)と研究者の間で、真のパートナーシップ(genuine partnership)は生じ得るのか?という議論がされているそうです。真の対等な関係は可能だと考える人もいれば、真のパートナーシップを築くために、研究者は研究機関の職を辞してそのコミュニティに入れ、という主張もあるのだそうです。

いずれにせよ、どのような関係にも、力の関係(Power relations)はあるということは大前提となっています。

どのようなコミュニティなのかにもよるのだろうとは思いますが、私自身は、真のパートナーシップを築くことは簡単ではないと思っています。このため、職を辞してそのコミュニティに飛び込む人がいることも不思議ではないと感じます。ですが、職を辞すというよりは、研究者という職業についていること、そこに付随するパワーを意識しながらコミュニティに参加していく、ということが今の自分がしたいと思っている形なのかな、と考えていました。

また、比較的最近の考え方として、Reflexive anthropology(再帰的人類学?)といって、研究者がその研究の中での自身の立場やパワーについて考える、ということの重要性についても教わりました。

研究者とコミュニティとの関係だけでなく、どのような関係にも、パワーは存在すると思います。
それらの関係の中で、パワーを全くないものにすることはとても難しいことだと思いますが、そのパワーの存在を認識したり、パワーが生じている背景にはどのようなことがあるのかを考えたり、そのパワーについて話し合ったりすることはとても重要なことだと感じています。



以下、コミュニティの参加型リサーチ(Community Based Participatory Research: CBPR)に関するメモ。

コミュニティの参加型リサーチには、次の二つの伝統があるそうです。
  • 社会のシステムを向上させる (Improvement of social system)という流れ<Northern traditionとも呼ばれる>
  • 解放する(Emancipation)という流れ<Southern traditionとも呼ばれる>

このSouthern traditionに関連して、ブラジルの哲学者、Paulo Freireパウロ・フレイレ)の名前は覚えておくと良いとのことでした。


テキスト:
Wallerstein, N. Duran, B. The conceptual, historical and practice roots of community based participatory  research and related participatory traditions. In  Community Based Participatory Research for Health. Minkler, M. Wallterstein N. eds, CA: Jossey-bass, 2003, pp. 27-52.

Tuesday, November 22, 2011

IPSの取り組みの進捗20111122

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IPS進捗メモ 2011年11月22日 
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■勉強会・ワークブックなどについて
  • 「IPSを考える(アイピーエスヲカンガエル)」の口座がついにできた。ワークブックのやりとり等に。

  • 12月のクライシス状況でのIPSに関する研修、2月に計画中の研修などもろもろ準備中。

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Tuesday, November 15, 2011

セルフヘルプ

2011年11月1日(178号)のビッグイシュー日本版に「セルフヘルプ:社会を回復する力」という素敵な特集が!
と思って、写真↓を撮ったりしていたら、






ちゃんと、ビッグイシューのウェブサイトにもっと見やすい情報がありました。


















この号では、セルフヘルプ特集ということで、5つの「セルフヘルプ・グループ(自助グループ)」を取材しています。

また、岩田泰夫さんに、「セルフヘルプとは何か?」について聞いていて、見出しはこの言葉でした。
自分の体験に支配されるのか、
それとも支配するのか。
仲間とともに生きる。
その行き方こそがセルフヘルプ

岩田さんは、
自分ではなく誰かのためにとなると、それは上下関係となり、関係はいずれ崩れてしまう。(p.14)
とも語っていて、共感を覚えました。Intentional Peer Supportで話される「助ける・助けられるの関係」のことも思い起こされました。

このほかに、「吃音(どもり)」「男性介護者」「DV被害の当事者の人たち」「ギャンブル依存症者の家族・友人」「子どもを亡くした親」のセルフヘルプグループが掲載されています。
岩田さんの記事に関しては、ビッグイシューのバックナンバーのページ http://www.bigissue.jp/backnumber/bn178.html から拡大画像で読めるようになっています。

Sunday, November 13, 2011

IPS感想

Intentional Peer Support (IPS)を学んでいらっしゃるクロコさんからIPSから学んだことなどについて、ここで紹介しても良いメッセージをいただきました!

クロコさん、ありがとうございます。思ったことや感じたことを共有していただけること、本当にうれしくありがたく、感謝です。以下に紹介させていただきます。

『IPSから学んだこと』
私は小さい頃から、人の役に立ちたいという思いが強かった。どうすれば人の役に立てるのかが、わからなかったので「支援」という仕事を選んでするようになった。やってほしいと言われたことを代わりにすることは容易にできたが、すべての要求をのむことが人の役に立つとは思えなかった。必要な時に何かを肩代わりし続けることが、人の役に立つとは思えなかったが、他の方法を知らなかった。
IPSを学んで、お互いに成長できる関係を作っていけるということを知った。一方的な助けを続けていると、関係が成長することに辿りつかない。ただ「受け止める」ことを意識して、会話をしていくこと。すべてを受け入れるのとは違うし、自分の要求だけを伝えるのでもない。自分の意識を変えることで、お互いにつながりを感じられる関係に向かえることを知った。

全てを受け入れる事や、事柄をすぐに解決しようとする会話は簡単にできてしまい、そういう会話を続けていると関係が成長しないどころか、会話をしたいという気持ちも起こらなくなってくる。誰かの手助けをしたいと思ったとしても、会話をする気も起きない相手の手助けをするのは難しいが、受け入れるわけではなく、ただ受け止めることで、会話を続けていこうという気持ちが出てきて、結果的には相手の役に立つかもしれないし、自分の役にも立つかもしれないと思うようになってきた。

 「人の役に立っている」という考えも、一人で考えて行動してしまえば一人だけの思い込みになってしまう時もあるし、一方通行の助けは、結局人の役に立っていなかったかもしれないと思った。会話を通して、お互いの気持ちが触れ合うと、自分一人ではないという安心感が生まれたり、心がふっと軽くなったり、温かい気持ちが湧き出てくることもある。その先の会話がどう展開していくかは、人間の可能性の分だけ答えがあるように思う。
自分を労わりながら「受け止める」ということが出来るのだろうか、ということを考えていた。イライラをぶつけてくる相手からの言葉を聞きいれて受けとめることは、暴力を許すことになるのではないか、暴言を吐いても大丈夫な相手と思われるのではないか、そしたら嫌だという気持ちが働いていたので、怒りを向けられた時に怒りで返す、やられたらやり返すということをしていた。IPSに繰り返し触れるうちに、言葉の暴力を受け入れるわけでもなく、気持ちだけを受け止めるということができるのではないかと思うようになった。相手を受け止めるには、まず自分の気持ちの変化を敏感に感じて自分を偽らないことが先で、そうすれば、自分からつながりを切りたいという気持ちが消えて、つながりを持ちたいという気持ちが芽生えて、心の底から相手の言葉に耳を傾けることができるのだろうと思った。しかし、自分がすごく怖いと感じる時には、いつにも増して自分の気持ちを察知するのが難しい。つながりを切りたくない、つながりを作っていきたいと自分が心から思える為に、自分が必要としていることを相手に伝えるという事もすごく難しいと感じている。今後も学んでいきたい。


『意識の変化で行動が変わったと思ったこと』
怒りを露骨に出されると、私は、自分に怒りが向けられているかのように思ってしまう。例えば、ふざけてテーブルの上に乗って大声を張り上げながらおやつを食べる子どもがいた時に、私は自分がバカにされていると感じてしまい、少し離れた所から「静かに食べなさい」と声を荒げていた。相手が大きい声を出すので、それ以上大きい声を出さないと声が届かないと思っていた。だが、そうすると、子どもはもっと大きい声を出す。「うるせえ、ばばあ」と言いながらふざける。私は「もう小学3年生なのに、幼稚園児みたいだね」と、もっとひどいことを言ってしまう。そういう会話を重ねながら、私はイライラしながら、子どもがおやつを食べ終わるのを待たなければならなかった。怒りを怒りで返していたと思う。

その言動を変えてみることができた。ある日、子どもが大きい声で騒いだ時に、その子どもの近くに行って「テーブルから降りて、静かに食べて」と、静かな声で伝えてみた。何度騒いでも、そのたびに近くに行って「静かに食べて」と静かに伝えた。そうすると、子どもが何人か集まって騒いでいても、私が近づくと一瞬静かになって、その日は、私は声を荒げなくても会話ができた。子どもが私の言うことをすべて聞き入れるわけではないが、更に大きな声で話し出すということはなくなったので、私は自分の話がしやすくなった。「汚した所は自分で拭いてね」と静かに言って、台ふきを渡すと、騒いでいた子どもが「ここは僕が汚してない。こっちをこぼしたのは○○君が笑わせたから。」と、聞いてもいないのに汚した弁解をし始めたりしていた。私はイライラを全く感じずに会話を楽しんでいた。今までのように「うるせえ、ばばあ」とは言われなかった。怒りを怒りで返さずに、自分が必要なことを相手の近くで静かに話すということをしてみただけで、会話の展開が変わったように思う。

怒りが自分に向けられて怖いと感じた時には、これが続くと嫌だという気持ちや、そういう大人になったら自分の対応が悪いと言われるのではないかという恐れや、なめられているのではないかという推測や、いろいろなことを思っていた。その怒りが必ずしも自分に向いていないということを考えられたら、その瞬間から自分の態度や発する言葉を変えることができると思った。今後も意識を少しだけ変えてみる練習をしていきたいと思っている。関係が変わらないと会話も変わらないと思っていたが、会話が変わることで関係も変わっていくことを感じ始めた。