Sunday, November 13, 2011

IPS感想

Intentional Peer Support (IPS)を学んでいらっしゃるクロコさんからIPSから学んだことなどについて、ここで紹介しても良いメッセージをいただきました!

クロコさん、ありがとうございます。思ったことや感じたことを共有していただけること、本当にうれしくありがたく、感謝です。以下に紹介させていただきます。

『IPSから学んだこと』
私は小さい頃から、人の役に立ちたいという思いが強かった。どうすれば人の役に立てるのかが、わからなかったので「支援」という仕事を選んでするようになった。やってほしいと言われたことを代わりにすることは容易にできたが、すべての要求をのむことが人の役に立つとは思えなかった。必要な時に何かを肩代わりし続けることが、人の役に立つとは思えなかったが、他の方法を知らなかった。
IPSを学んで、お互いに成長できる関係を作っていけるということを知った。一方的な助けを続けていると、関係が成長することに辿りつかない。ただ「受け止める」ことを意識して、会話をしていくこと。すべてを受け入れるのとは違うし、自分の要求だけを伝えるのでもない。自分の意識を変えることで、お互いにつながりを感じられる関係に向かえることを知った。

全てを受け入れる事や、事柄をすぐに解決しようとする会話は簡単にできてしまい、そういう会話を続けていると関係が成長しないどころか、会話をしたいという気持ちも起こらなくなってくる。誰かの手助けをしたいと思ったとしても、会話をする気も起きない相手の手助けをするのは難しいが、受け入れるわけではなく、ただ受け止めることで、会話を続けていこうという気持ちが出てきて、結果的には相手の役に立つかもしれないし、自分の役にも立つかもしれないと思うようになってきた。

 「人の役に立っている」という考えも、一人で考えて行動してしまえば一人だけの思い込みになってしまう時もあるし、一方通行の助けは、結局人の役に立っていなかったかもしれないと思った。会話を通して、お互いの気持ちが触れ合うと、自分一人ではないという安心感が生まれたり、心がふっと軽くなったり、温かい気持ちが湧き出てくることもある。その先の会話がどう展開していくかは、人間の可能性の分だけ答えがあるように思う。
自分を労わりながら「受け止める」ということが出来るのだろうか、ということを考えていた。イライラをぶつけてくる相手からの言葉を聞きいれて受けとめることは、暴力を許すことになるのではないか、暴言を吐いても大丈夫な相手と思われるのではないか、そしたら嫌だという気持ちが働いていたので、怒りを向けられた時に怒りで返す、やられたらやり返すということをしていた。IPSに繰り返し触れるうちに、言葉の暴力を受け入れるわけでもなく、気持ちだけを受け止めるということができるのではないかと思うようになった。相手を受け止めるには、まず自分の気持ちの変化を敏感に感じて自分を偽らないことが先で、そうすれば、自分からつながりを切りたいという気持ちが消えて、つながりを持ちたいという気持ちが芽生えて、心の底から相手の言葉に耳を傾けることができるのだろうと思った。しかし、自分がすごく怖いと感じる時には、いつにも増して自分の気持ちを察知するのが難しい。つながりを切りたくない、つながりを作っていきたいと自分が心から思える為に、自分が必要としていることを相手に伝えるという事もすごく難しいと感じている。今後も学んでいきたい。


『意識の変化で行動が変わったと思ったこと』
怒りを露骨に出されると、私は、自分に怒りが向けられているかのように思ってしまう。例えば、ふざけてテーブルの上に乗って大声を張り上げながらおやつを食べる子どもがいた時に、私は自分がバカにされていると感じてしまい、少し離れた所から「静かに食べなさい」と声を荒げていた。相手が大きい声を出すので、それ以上大きい声を出さないと声が届かないと思っていた。だが、そうすると、子どもはもっと大きい声を出す。「うるせえ、ばばあ」と言いながらふざける。私は「もう小学3年生なのに、幼稚園児みたいだね」と、もっとひどいことを言ってしまう。そういう会話を重ねながら、私はイライラしながら、子どもがおやつを食べ終わるのを待たなければならなかった。怒りを怒りで返していたと思う。

その言動を変えてみることができた。ある日、子どもが大きい声で騒いだ時に、その子どもの近くに行って「テーブルから降りて、静かに食べて」と、静かな声で伝えてみた。何度騒いでも、そのたびに近くに行って「静かに食べて」と静かに伝えた。そうすると、子どもが何人か集まって騒いでいても、私が近づくと一瞬静かになって、その日は、私は声を荒げなくても会話ができた。子どもが私の言うことをすべて聞き入れるわけではないが、更に大きな声で話し出すということはなくなったので、私は自分の話がしやすくなった。「汚した所は自分で拭いてね」と静かに言って、台ふきを渡すと、騒いでいた子どもが「ここは僕が汚してない。こっちをこぼしたのは○○君が笑わせたから。」と、聞いてもいないのに汚した弁解をし始めたりしていた。私はイライラを全く感じずに会話を楽しんでいた。今までのように「うるせえ、ばばあ」とは言われなかった。怒りを怒りで返さずに、自分が必要なことを相手の近くで静かに話すということをしてみただけで、会話の展開が変わったように思う。

怒りが自分に向けられて怖いと感じた時には、これが続くと嫌だという気持ちや、そういう大人になったら自分の対応が悪いと言われるのではないかという恐れや、なめられているのではないかという推測や、いろいろなことを思っていた。その怒りが必ずしも自分に向いていないということを考えられたら、その瞬間から自分の態度や発する言葉を変えることができると思った。今後も意識を少しだけ変えてみる練習をしていきたいと思っている。関係が変わらないと会話も変わらないと思っていたが、会話が変わることで関係も変わっていくことを感じ始めた。

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