Thursday, April 18, 2013

IPS基礎研修in栃木(2013年3月)通信 その2

IPS基礎研修in栃木(2013年3月)の感想その2です。
その1からの続きです。  この記事はその3その4へと続きます。


IPS特集 その2
IPS研修を終えて
( ピアルクラブSANO 事務局員 藤原貴尚 )
   今回の研修を通じて一番良かったのは自然に言葉が出てきたことです。あの場所はとにかくすごい安心感がありました。内容はとても深くて一日や二日で理解、実践できるものでなかったけど自分は見ている、聞いていることだけで物事を吸収するのが苦手なので、体感することを意識しました。そんな中で自分のことを説明しよう相手を理解しようとすればするほど、その場にある感情から遠ざかって行くような気がしました。自分の素の感情を出せたとき、相手の本音が聞けたとき、妙に納得してしまいましたね。なんか自分の立場とかしがらみとか考えて気を使ってるとき本当に話ってこじれていくもんなんですね。でも自分が感じられたのはここまで!納得した上でそれからお互いの新たな関係をどう作って行くのか?久野さんの演習を見ましたが、ピンとこなかったです。まるで最初からああなるシナリオがあったかのように、見事に今までと違う関係性が出来上がって驚きでした。その演習を体感できなかったのが俺の唯一悔やまれることですかね。でも今自分にどんな感情が沸き起こっているのか、それに加えて相手がどう感じてるのかを意識出来たらきっと自分にとってかなりの進歩になるのではないかと思ってます。最後に私がこの研修を楽しく過ごせたのはその場にいた人たちの温かさのお陰です。皆さん本当にありがとうございました。
佐野IPS研修の感想
( 久野恵理 )
二日間はあっという間でした。
温かさや思いやりが基調にあって、でも、言いたいことも言えてるような、心地よいスペースを感じました。一人ひとりの中ではもやもやする思いも、たぶんあっただろうけど。

研修でしたことで特に印象に残っているのは、自分の心の奥底の声を聴くというのは、容易ではないと実感したことです。例えば、誰かとの関係で、何か気にかかることがあったとき、「あの人がxxするからだ」とか「xxしないでほしい」とか「こうしてくれたらいいのに」というような表面にでている気持ちの奥に、どんな感情があって、どんな思いがあるのかは、自分でもすぐにはたどり着けないもののようです。すぐにその場で気づくのは至難の技なのですね。(いつも意識を向けるようにしていると、自分の心の奥の声が聴こえてくるようになるのだろうか?)その一方で、ロール(リアル?)プレイで、実際に経験した状況をたどって、そのときに感じていたであろう心の声を伝える演習をしたとき、その人の心の声は相手役を演じたこちらの心にぐっと響き、その人の姿が見え、いとおしささえ感じたような気がしました。こんなふうな会話を普段の生活のなかでしていたら、かなり違った人間関係が生まれて、違ったふうな現実が作り出されるのだろうなあと思います。

もう一つ、今回、特に際立って見えたのは、ピアルクラブの面々の絶妙なハーモニーでした。一人ひとりの旋律の味わいの深さだけでなく、響き合い方が絶妙なわけで。ピアルクラブ一座と一緒にまわる、全国IPS研修ツアーなどできたら楽しそうだなあ~。
佐野のIPS研修を振り返って
( ましー )
   自分がなにを感じているのか、その気持ちがどこから来るのか、本当はどうありたいのか。あるがままとはなにか、思い込みや、物事の評価を手放すとはどういうことか。
   2012年夏、初めて訪れた渡嘉敷島でぼくは、IPS宿泊研修の魔法のような数日間を過ごしていた。あれからまだ1年すら経っていないことにちょっぴり驚く。栃木に生まれ育ったぼくは、なぜだか沖縄に暮らしていて、この渡嘉敷の夜、その沖縄から栃木へ思いがけず小さな線が結ばれた。その線――そして縁を大切に育ててくれた仲間たちがいて、次の年の初春、ぼくは地元の栃木県で再度のIPS研修に参加する機会を与えてもらった。

 住んでいる沖縄のアパートを出る。バスとモノレールで空港へと向かう。2時間を超えるフライト。東京の刺すような冷たい風。実家へ向かう電車。その車内に見る人々の顔。
   いま自分がなにを感じているか。
   実家の部屋で夜を過ごし、父の車で佐野の研修会場へ。街並みや人。かつて見知った顔があり、まったく知らない風景がある。初日はまだ金曜日の平日で、ときどき気持ちが沖縄の職場へ飛んだりした。自分の心はたいていいつもなにかに囚われていて、晴ればれとした自由を感じることは滅多にないな、と感じる。変更のきかない過去に囚われたり、失敗するかも知れない明日の不安に囚われたり。
   少しナーバスなままに迎えた、研修の時間。違う場所で知り合った大切な人たちが、いま同じ空間にいて、お互いに言葉を伝え合っている。嬉しいと感じる自分を発見する。

 自分の心持ちや喜怒哀楽、その流動線みたいなものを客観的に眺めてみるという行為は、講師のえりさんが別の場で紹介している『WRAP(元気回復行動プラン)』の考え方とも、芯を同じくするものと思う。IPSではそこに他者が現れ、その関係性に特にフォーカスを当てていく。IPSを知ってから、生きることが少し楽になったと話す人たちが大勢いて、ぼくもやはりそう感じている。自分の気分を伝える、相手の声を受け止める。元来はシンプルであるはずのコミュニケーションンが、後付けの経験や置かれた役割、文化的背景といったさまざまな“思い込みのコンテクスト”によって、いびつにされていることを思い出す。

本当はたぶん、いとも簡単で当たり前のことだったのではないかと思う。ただ、その当たり前の時間というのは、多くの人たちにとって、きっとすごく短かったはずだ。

さて、とは言いながら、シンプルなコミュニケーションの方法をすっかり忘れてしまっているぼくなのだけれど、他者と繋がることが、実はけっこう嫌いではないというのを、自分では本当は知っていたりする。佐野の研修会で多くの人たちと再会し、また新しく出会い、そこで感じている気分というのは紛れもなくポジティブなそれだった。
   えりさんやこばちゃんから(えりさんとかこばちゃんとかいうのが、どういった人なのかというのは、たぶん他の誰かが紹介してくれていると思うので省きます)、「佐野は風土がもともと出来上がっている」ということを伝え聞いていて、「それがどういう意味だろう」と感じていたのが少しずつ氷解していくような過程もあった。
   また、印象的だったのは、特に『ピアルクラブ』のメンバーが、佐野やその事業所、スタッフ、自分たちについて自らいくらでも“良さ”を熱弁してくれるところで、しかもこれが自然に出てくる感じというのが、ちょっと羨ましいなぁと思った。彼らにとってはそれがシンプルで当たり前のことだからこそ、とても素敵だ。そして毎夜、カイハツさんたちと呑み交わしながら(カイハツさんが誰なのか、他の誰かが紹介してくれていると思うので省きます)、再び繋がったこの縁を、また次に向けてなんとしても大切にしていきたいと感じた。それはとても自分勝手な気分だけれど、いまはここでそう述べておきたい。

 2日間の研修のあと、母親の墓参りに行った。その帰り、父や祖父母と蕎麦を食べた。
   実家の近所を一人で歩いて、公園で、満開の梅の花を眺めた。同じように公園を散歩している親子連れがいて、年老いた夫婦がいた。心のなかの穏やかな気持ち
   この街を歩いたときにだけ、立ち返ることのできる自分がいることをあらためて知る。

この記事はその3その4に続きます。

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