Wednesday, September 28, 2011

参加者とのデータの共有

この研究では、インタビュー(座談会)の録音データとその文字おこしのデータを、参加者の皆様と共有する方針をとっています。が、実際に始めてみると、具体的にどれを誰と共有するのか、迷う状況が出てきました。そこで、参加者と研究者の情報共有の仕方について整理してみます。 

【参加者】該当インタビュー(座談会)の場に参加していた人
【協力者】IPSに関心のある人で、研究のための連絡先を宮本に送って下さった方と研究チーム
【委託業者】守秘義務契約を結んだ委託業者(文字おこしの作業を外部委託しています)


録音データについて
レベル 共有の範囲
公開 ウェブページに公開(誰でもアクセス可能)
限定共有A 参加者、協力者、委託業者
限定共有B 参加者、参加者の許可が得られた協力者、委託業者
非公開 参加者、委託業者


文字おこし後のテキストデータ(個人情報削除済み)について
レベル 共有の範囲
公開 ウェブページに公開(誰でもアクセス可能)
限定共有A 参加者、協力者、委託業者
限定共有B 参加者、参加者の許可が得られた協力者、委託業者
非公開 参加者、委託業者 <インタビューに参加していなかった研究者が分析に関わる場合にはどう考えるか??検討が必要。>

上記のそれぞれについて、参加者全員からご意見を伺い、インタビュー(座談会)ごとに公開のレベルを設定するという方針でいます。


一番最初に行った録音は、共有の範囲を広げることを考えていなかったため、選択肢は特に考えず、その場にいた人の中で共有する(=上の表で言うところの非公開)ということだけ話しました。
しかし、考えてみると、他にも聞いてみたい人などがいた場合や、その場にいなかった研究者が分析に参加するためにデータに触れる可能性についても考えないといけない、と気付き、その後のインタビューでは、ご意見を伺う際に、他の人との共有についても選択肢として挙げると、誰にでも公開というのは抵抗はあるけれども、このような人々であれば共有しても良い、といった意見が多く出てくる印象があります。

研究データというと、研究者が厳重に保管するもの、という先入観があったのですが、ある場で話されたことは、その場に参加していた人みんなの共有のものであり、また、そこにいた人達が聞かれても良いと考える人たちと共有できるというのは自然であり、また素敵なことだなぁと思っています。
これらの共有について考える過程で、研究データや医療データは誰のものなのか、ということについても考えさせられています。

Thursday, September 22, 2011

IPSの取り組みの進捗20110922

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IPS進捗メモ 2011年9月22日 
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■調査について
インタビューと呼ぶか、座談会と呼ぶか、今後もっと考える必要あり。

■勉強会などについて
IPSカレンダーに情報蓄積中。http://intentionalpeersupport.jp/calendar/

■研究ブログについて
IPSについて考えたことをこのブログに書いてしまうと、次のインタビューに行くときに、相手の人が、その内容に影響されちゃうかな、という葛藤がある。しかしながら、非公開にした場合でも、これまでのインタビューの内容が次のインタビューに影響を与えていることには変わりない。影響を一人で受けてるか、みんなで受けてるか、の違いだけなのでは、という気もする。

■ワークブックについて
ワークブックの販売方法考える。
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Tuesday, September 13, 2011

IPSの取り組みの進捗20110913

あまり進んでないけど、メモ。
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IPS進捗メモ 2011年9月13日
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■調査について
少し分析を進めてからまた秋に調査へ。

■勉強会などについて
東京は9月はなし。

■ウェブ・サイトについて
「仮オープン」をはずす。

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Thursday, September 1, 2011

IPSの冊子を読んで感じたこと

Intentional Peer Support (IPS)のワークブック*を読まれた、たけちゃん(たけちゃんのブログはこちらからメッセージをいただきました。

皆様が、IPSに触れた感じられたこと、気づかれたこと、共有できるのはとても有り難く、うれしいです。 どうもありがとうございます!

個人的なメッセージの部分を一部省略の上、ご本人の許可を得てここに記させていただきます。( )内は宮本の註です。

(前略)
小冊子(←IPSのワークブックです。末尾に註*)を1・2巻だけざっと目を通してみました。感想はIPSは広い意味で教育の一環なのではないかということです。作者は精神医学のカテゴリーで相手をとらえることを禁止していますが、これは「ものぐさ数学のすすめ」で有名な森毅・元京大教授の「落ちこぼれと決めつけていたら教育などできへん」というセリフと同じだと思いました。「落ちこぼれ」を「精神障碍者」と変換すればそのままですものね。(中略)教育は全人格的な交わりです。特に若い人は肩書きだけの人物かすぐに見破ります。講義をすることは教授する人の「世界観」を学生さんに伝授することではなく、学生さんの「世界観」に基づく恣意的解釈に身を委ねる、「命がけの飛躍」を伴う弱い立場に身を置くことです。そうした弱い立場に身をさらすことに耐えられない人々が「権威」という「ソフトパワー」をちらつかして現実を倒錯的に扱おうとするのですが、若い学生さんは本能的にそれを見破るのです。文化人類学者山口昌男氏の「教育とは壊すか壊されるかの怖い営みだ」という言葉もそのことを指していると思います。
(中略)

IPSの小冊子を読んで気づいたことをもう一つ書かせてください。作者はより良き人生を生きるためにこうありたい自分に向かって前向きに努力することを求めていますが、これはキリスト教の位階秩序を一つ一つ上に上ることの焼き直しに思えます。日本では「方丈記」や「平家物語」から連なる「無常」をめぐる議論の蓄積があり、「ただ生きる」ことを肯定する思想があります。この思想を突き詰めていくと「生きているのも死んでいるのも同じこと」という命題にたどり着くのですが、流石にアメリカ社会の「周縁」に位置するIPSの創始者にしても文化的差異が大きく、IPSの枠組みの中でとらえられなかったよう思います。ここがIPSの限界であり、やはり日本という文脈に引き直した自前の回復プログラムを用意する必要性を感じます。
(後略)

*IPSのワークブックの原文(英語版)は、Peer Support: an Alternative Approachで、Shery Mead(シェリー・ミード)さんのウェブサイトから購入可能です。
http://www.mentalhealthpeers.com/index.html
このワークブックの日本語版は、現在IPSの研修会や勉強会で販売しています。